内容の一部を掲載する。

1、講師のお話

 子供の交通事故が増え始めた昭和45年頃から安全指導に携わり、自転車を歩道にあげるように指導した事、やがて「通行可」の歩道ができてきた様子など、ご自身の体験で話された。

●自転車はどうやって走るのかの問題は、相互信頼の原則というものがあり「ルール」「マナー」を守れば基本的に安全に走行することができる。

●しかし、道はだれのもの?札幌21から学んだ「自転車に人格があるか?」の観点からすれば、安全性はまだこれからだと思うし、快適性についてもまだまだだとおもう。

●自転車を利用する人は、子供やお年寄り、通勤/通学、プロ並みのサイクルニストと幅が広く、それだけ対策も複雑で難しい。

最後に、事故が起きた場合の悲惨さを紹介して安全走行をうながし、締めくくった。

4、講師を囲んでの話し合い

 秋山さんの司会で、参加者全員による自由討論を行った。ビデオの中にあった自転車の左折右折の手信号についての否定的な意見など、活発な意見交換が行われた。

■「車道上」のクルマと自転車の共存、また「歩道上」の自転車と歩行者の共存ということはあり得ない。いずれの場合も前者が圧倒的に強者である。

■自転車と一口にいっても上は自動車なみの性能で車道を走るものから、子供やお年寄り、買いもののためのママチャリまで多様である。われわれはあくまで、子供などの弱者に焦点を当てていく。

■交通手段としての自転車の優位性(早い、便利など)はますます広がっていくが、行政の予算のかけ方は自動車にくらべてけた違いに小さい。市民団体が強くならないとならない。

■運動の進め方として、軽車両だから車道を走るべきだという考えだけでは不十分である。切り口を変えた運動があってもよいのでは?

■意識しないで自転車に乗っていたがこの運動に参加して、新しい観点ができた。

■フィンランドでは右折左折の手信号は普通に実行されている。

■道交法の中では自転車は主役ではなく脇役なのではないか?自転車主体の「自転車」道交法的なものを作ってもよいのでは?

■路側帯や外側線の言葉の整理や、それぞれの公安上のあるいは道路管理上の交通整理をする必要もある。

■「道はだれのもの?」という言葉の問いかける意味は広くて深いように思う。